方法だけあっても哲学がないと - 1
「節約」というと、ただたんに、ムダなおカネを使わないための生活の知恵と考え、その目的が達成できる方法にばかり、目を向けがちです。
私はこう考えています。節約には、人間が生きていくうえでのフィロソフィー(哲学)がある、と。逆にいうと、節約ぶりを見れば、その人のフィロソフィーがわかるということです。
そこでドイツ人の節約と、日本人のそれを比較してみると、いわゆる「お国の違い」といった、対称的なフィロソフィーがあることに気がつきました。
たとえば、子どもへの教育です。「なんで関係があるの」と、首を傾げる方もいると思いますが、実は節約から、その国の教育に対する考え方が見えてくるのです。
ドイツも日本も、親は子どものためを思い、教育をしているのですが、「子どもを大切に思う」ことは同じでも、教育に対する考え方、その方法にかなりの違いがあるように思います。
ドイツの親は、どうしたら最上の形で子どもが一人で生きていけるか、つまり、自立できるかをまず考えます。それは、子どもがある年齢に達したときに考えるのではなく、生まれたときから、親は子どもの自立のことを考えるのです。
ドイツ人は10歳で将来の進路を決めます。「そんなに早く決めたら、子どもがかわいそうだ」と思われるでしょうが、親はすでに10年もの間、子どもの将来に思いを巡らしているのです。ドイツでは、子どもが自立するときに重要なのは、職業だとされています。ですから、早い時期から、子どもの職業への適性を見極めようとするのです。