サンドラ・ヘフェリン


「世界一ケチ」といわれるドイツ女性。でも日本女性よりずっと豊かに暮らしている。なぜ?


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義理と真面目につきあうと出費がかさむ

 日本の習慣や行事を見ていて、日本人でなくて本当によかった、と思うことがたくさんあります。

 たとえば成人式。留学を望んでいた知り合いの女の子が、「成人式の着物はいらないから、そのおカネを留学の費用にしてほしい」と、両親にお願いしたところ、「成人式に着物くらい用意できないと、親戚の手前みっともない。それにいい記念になるし、おまえのためだ」 と、両親は取り合わず、とても高価な着物を買ってしまいました。彼女の実家は地方なので、両親にとって「親戚の手前」という行動規準は、疑う余地のない自然なものだったのでしょう。

 この話を聞いて、私は即座に、(なんてもったいない)とつぶやいていました。

 災厄をこうむらないことに感謝しているのがお年玉です。お年玉は子どもにとってはうれしい習慣でしょうが、おカネに余裕がない大人は、溜め息の連続で金欠のうえに酸欠状態になってしまうはずです。私はお正月に子どものいる家庭に絶対招待されたくありません。ただし、年末年始に帰国したり旅行したりして不在にすると、おカネがもっとかかってしまうので、ご辞退の理由をいくつか用意しています。

 また、私は一度だけ、日本人家庭のひな祭りに招待されたことがあります。三歳か四歳かの幼児がいるということなので、小さなプレゼントを用意していったのですが、立派で美しいおひな様とご馳走を目の前にしたとき、私はプレゼントをあげるのに気が引けてしまいました。そして、心の中で憎まれ口を叩いていました。

(こんな小さな子が窮屈な着物を着せられていては、自由に走り回れないではないか。「触わっちゃダメよ。見るだけよ」なんてお母さんは叱っているが、小さい子にとっては、「見るだけで触わってはいけないきれいな人形」より「抱きしめて遊べる人形」のほうが自然だ)……と。

 子どものためのお祝い、つまり、子どもにおカネをかけて何かをしてあげるというのは、大人、親の一方的な発想で、子どもにはあまり楽しいこととはいえないのではないでしょうか。

 それはともかく、義理と真面目につきあうと、やたら出費がかさむことは明らかです。日本にはたくさんいいところがあるのですが、義理は私が最も苦手としているものです。義理のない生活は素敵で自由なうえに、出費も少なくてすみます。私は、義理にわずらわされなければ、みんなが楽に生きられるだろうと思ったりもします。

 たとえ相手が好きな人であっても、義理で何かをしたとすると、あまりいい気分になれないと思います。あるいは、好意を抱いていない人に何かをしなければならないとすると、陰で悪口の一つもいいたくなるのではないでしょうか。

 なぜなら、人間は皆、ノーベル平和賞を受賞した宣教者、マザー・テレサではないからです。ドイツ人はよく、「Ich bin nicht Mutter Theresa(私はマザー・テレサではない)」といういい方をします。

「人間はそれぞれ自分の意思というものを持っているのだから、私に大きな好意を期待しないでくれ」という意味です。露骨な表現と思われるでしょうが、自分の気持ちに素直でありたいものです。したがって、〈心に悪いものは、財布にも悪いのです。

 だから、バレンタインデーの義理チョコは言語道断、ましてや職場の人のために一個何百円のチョコレートを何十個も買うなんてもっての外。もし、義理チョコの風習がドイツに持ち込まれたら、多くの人々は、チョコレート会社やお菓子屋の儲けに、なぜ貢献しなければならないのか、と腹を立てるでしょう。彼らは自分がおカネを使い、媚びを売る風習だと受けとめます。それはアンビリーバブルな世界なのです。

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