サービスの悪さが環境保護になる?
ドイツの環境対策は世界的にもかなり進んだものだと思います。身近な例を挙げてみましょう。
「ゴミの日」がない
ゴミはいつ出してもいいのです。一定の地域ごとに、日本の集合住宅、団地などに見られるような集積場があります。小さな家のような建物の中に、燃えるゴミ、燃えないゴミ、ガラスなど、ゴミの種類に応じた大きな入れ物が置いてあります。大きなトラックが週に何度かやってきて、溜まったゴミを回収していきます。また、町の通りにはいくつものゴミ箱が設置されています。
缶は環境の敵
缶飲料の購買をやめようという動きがあり、日本ではどこにでもある缶飲料の自動販売機がありません。飲む人もあまり見られないようになりました。缶は環境に負荷を与えるという認識が広まっているからです。
学校や会社で缶ジュースを飲んでいると、周囲から白い目で見られてしまいます。
ドイツといえばビールですが、ドイツ人は缶ビールを下品だといいます。地面や床に腰を下ろして飲むものというイメージを持っているのです。保守的なドイツ人は、ビールがもともとビン入りだという固定観念を譲ろうとしません。その点からも缶を嫌うのです。
私が日本で生活していてとても気になるのが、缶飲料とペットボトル入り飲料です。缶もペットボトルも日本のものはサイズが小さいので、一日に何本も買ってしまうことになりかねません。とても不経済だし、廃棄される缶やペットボトルの量が多くなってしまいます。
ドイツでは、牛乳やヨーグルトが日本人がびっくりするほどの大きなサイズのガラスビンに入れられて売られています。空きビンは回収、清掃消毒をされ、再び使用されるというリサイクルが徹底しています。
スーパーの中には、飲み切ったビンを消毒する機械を置いているところがあります。消費者は空きビンを持っていって消毒し、新しい牛乳をそれに入れます。他の飲料もガラスビン入りがほとんどです。
学生も社会人もカバンの中に、水や飲料が入ったガラス製の1Lビン(とても頑丈で割れることはまずない)を入れて持ち歩いています。ドイツ人はよく水を飲みます。水を飲むことが健康にいいという信仰に近いものがあるからです。それだから「缶ジュース」を敵視します。
- 缶は環境に悪い
- ジュースは身体に悪い
- サイズが小さいのでいくつも買う
つまり、環境、健康、節約、どれにとってもよくないと思っています。そして、この三点はドイツ人の日常の中で深く結びついているのです。
包装過少
日本は実に包装過剰です。デパートで買い物をすると、商品を紙で包みそれを入れる袋をくれます。いくつかの商品を買うと大きな手提げ袋もくれます。文房具屋でボールペン一本買っただけで、小さな袋に入れてくれます。
ところが、ドイツでは買い物をしても袋をくれません。この袋をくれないということは一見、環境と関係がないようで、実は大きく関係しています。日本人から見れば、こうしたドイツのサービスの悪さは、不愉快になるほどだと思います。
スーパーマーケットでは、レジ袋は頼まなければもらえません。しかも有料で約10円を取ります。いわなければもらえないという面倒さに加えて、有料であることが、ドイツ人に「環境によい行動」を起こさせています。それなら、布製の袋を用意して買い物に行こうとなるのです。日本もレジ袋についてはずいぶん変わってきましたが、ドイツのほうが早くから徹底していたと思います。
ドイツ人は皆、他人に気に入られようとはしません。サービス業に従事する人もそうです。お客にサービスをして気に入られようとする考え方がないので、店の側も堂々と「環境を守ること」に力を入れることができます。
スーパーで売られている冷凍食品は中身が包装やパックされずに紙製の袋に入っています。日本の友人が、袋を切ると中身がいきなり出てきたと驚いていました。
包装は最低限、ショッピング袋、レジ袋は有料、袋に入ったおしぼりがない。ドイツは年間を通して雨の日がとても多いのですが、デパートやスーパーは濡れた傘を入れるビニール袋を用意していません。ビニールが環境に悪いからです。
ノートは再生紙
学生は小学生から大学生まで、学校指定の灰色がかった再生紙をノートに使っています(文房具屋で購入)。
真っ白な紙のノートを学校で使おうものなら、「あなたは環境が大切じゃないの」と、クラスメイトに不思議がられてしまいます。まして、日本の文房具店で人気のあるキャラクターの絵が入っているようなノートを持っていけば、白い目で見られてしまいます。
使い切ったノートはアルトパピア(再生紙をつくるための紙屑置き場)に持っていき捨てます。再生紙をまたリサイクルするのです。
ドイツ人には、環境のために何かをするのが特別なことだという意識がありません。ドイツ人は根本的に重要なことに興味を示します。その自分たちの生き方に合うものの一つが「環境を守る」ことだととらえています。つまり、あたりまえのこととして環境問題に向き合っているのです。
人間は、自然が健全であるおかげで生きているということを、ドイツ人は皆、知っているからです。空気が汚れ、水が汚れ、森が死んでしまっては、人間、動植物の命が脅かされてしまいます。